2010年 04月 11日
はじまりはキミたちから |
神でもいいし、宇宙でもいいし、人によってそれぞれ呼び方は違うけれど、
たぶん多くの人が、そうした人にはとらえられぬ、偉大なる力の存在というものがある
ということは、たとえ漠然としてであっても知って、あるいは感じていることと思う。
最近のアニマルコミュニケーションの広まり、ペットブーム。
それは、神が「早く目覚めなさい」というメッセージを動物たちに託して、私たちに知らせてくれている
のである。
聖なる使者・・・・・
初めて犬と暮らす。
転寝したり、走ったり、いびきとか、まっすぐ見つめてくる瞳だとか。
生きているからもちろんご飯も食べるし、トイレだっていくし、病気だってする。
それは「知って」はいたけれど、実際に目にすると「あーー、生きているんだな~」と
その命に感動する。
初めてうちに来た子はパグだった。
そしてジステンパーであった。
病院に行き、鍼にも行き、そしてネットでもいろいろと情報を探す。
そこで知る残酷な現実。
こんなにも捨てられる子が多いのか?
保健所での「安楽死」、繁殖所での地獄のような暮らし。
虐待に動物実験。
そうしたいわゆるペットと呼ばれる子たちを取り巻く環境から、
自然と行き着いたのが、屠殺の現場。
一生太陽を見ることもなく、なんの痛み止めの処置もなく去勢、避妊させられ、牙を抜かれ、
尾を切られる。
狭い身動きさえできない檻の中での短い短い一生。
知らない世界。
知らないということは罪である・・・そう思った。
だから、お肉を食べるのをやめた。
そして、微力ながらも里親探しのお手伝いをするようになった。
一人で肉食をやめて何になる?
1匹命を救えたからといって何になる?
疲れているときにはそうした思いになったこともある。
それでも、ここでやめてしまうわけにはいかない。
何よりも、もう元の何も知らないときの生活に戻ることはできない気持ちのほうが強かった。
何かにとりつかれたような体の奥から湧き上がる思い。
無知なる私に、こうしたことを教えてくれたのが我が家の犬たち。
いわゆる保護活動をしていると、里親希望の人よりも、「捨てにくる」人からの
問い合わせのほうが多いをということを知る。
「あなたのところが引き取ってくれないなら、安楽死しかないんだよ!」と逆ギレされた
ことも多々ある。
放棄するのはあなたなのに・・・・・
そんな中、うちにやってきた白と黒のシーズーわん。
老いて、汚れて、どうしたらこんな姿にできるのか?というほどに汚れきって、弱っていたシーズーわん。
悲しくて、悲しくて、ただつきそうことしかできない自分が情けなかった。
そのときの自分にとって、できることはやったとは思う。
そうは思うけど、
この子の心を聞けたならどんなによかっただろう?
この子の望んでいることは何だったのか?
最後は苦しくなかったのか?
うちに来て少しでもほっとする時間はあったのか?
私たちの愛はちゃんと届いていたのか?
そんな思いをずっとずっと心の底に抱えていた。
ただ、こうして世話をするだけじゃだめだ。それじゃぜんぜん足りない・・・
そうして、知識としては知っていたアニマルコミュニケーション。
それが、自分にもできるということを知る。
白と黒のシーズーわんからもらったメッセージは
「最後の数日をありがとう。それはとてもとても美しい日々だったよ」というもの・・・・・・
うれしそうに忙しそうに跳ねるシーズーわん。
この一言に救われた。
だんだん、コミュニケーションだけじゃだめだと感じるようになる。
たとえ、この子の心や体の不調を知ったとしてもそれだけでは足りない。
もっともっと、何か役にたてることはできないのか?
そんな中、出会ったのがハンドヒーリングである。
これなら、心身ともに癒してあげることができる。
地球の裏側にいる子たちの役にたつことだってできる。
家族との橋渡しをしながら、ヒーリング療法を用いることによって
治療の助けや、そして自己治癒力を高め、心身を癒す助けとなることができる。
彼が去って2年後、急にシーズーわんが訪ねてきてくれた。
元気そうなシーズーわん。
私に黄色いリボンを差し出してくれた。
淡い淡い黄色でとってもやわらかいリボン。
意味もわからずにそれを受け取ると、そのリボンはシーズーわんを乗せて高く空にのぼっていった。
そして、私の手に握られた黄色いリボンが大きく、大きくなって、私も乗せて空にのぼる。
とても鮮明な夢。
そして、この日からもっと多くの子たちにコミュニケーション、ヒーリングという形を通して接する機会が増えた。
その道は間違っていない。
もっともっと多くの子たちの役にたつことができるよ・・・
そう教えてくれ、導いてくれたシーズーわん。
わが子がこの世の残酷なできごとを教えてくれた。
行動に移すことを教えてくれた。
そして、具体的な方法をシーズーわんが示してくれた。
すべては「今だよ」と、私の心の成長とともにタイミングよく起き、それはまるで神の手に導かれているような感じであったと思う。
動物たちは神さまが人間界に送った使者である。
私はほんとうにそのこと信じる。
ここ数年で起きた、私の中での大きな変化。
人であれ、動物であれ、いきとしいけるものすべてのもののしあわせのために、彼らが愛と光の中で生きていけるように。
そのために少しでも役にたてるように・・・
はじまりはキミたちから。
キミたちからのメッセージを多く人へ伝えていくこと。
愛を光を広げていくこと。
動物から教わることは多い。
そしてそれは、私たち人間が忘れてしまったシンプルで、そして一番大切なことであったりする。
平和にしあわせに生きること。
動物たちの幸せを願う。
それにはまず私たち人間がほんとうの愛というものを知り、
幸せに日々を生きねばならない。
それは自分だけがよければいい・・・ということではもちろん違う。
自分の幸せ、愛の光で他者を照らすこと。
愛と光を広げていくこと。
それは実はとても簡単であるということ。
日々の生活の中で実践していけるそうしたちょっとした心の、体のエクササイズ。
そうしたことをここでシェアしていければいいなと思い、この別ブログを作ってみました。
たぶん多くの人が、そうした人にはとらえられぬ、偉大なる力の存在というものがある
ということは、たとえ漠然としてであっても知って、あるいは感じていることと思う。
最近のアニマルコミュニケーションの広まり、ペットブーム。
それは、神が「早く目覚めなさい」というメッセージを動物たちに託して、私たちに知らせてくれている
のである。
聖なる使者・・・・・
初めて犬と暮らす。
転寝したり、走ったり、いびきとか、まっすぐ見つめてくる瞳だとか。
生きているからもちろんご飯も食べるし、トイレだっていくし、病気だってする。
それは「知って」はいたけれど、実際に目にすると「あーー、生きているんだな~」と
その命に感動する。
初めてうちに来た子はパグだった。
そしてジステンパーであった。
病院に行き、鍼にも行き、そしてネットでもいろいろと情報を探す。
そこで知る残酷な現実。
こんなにも捨てられる子が多いのか?
保健所での「安楽死」、繁殖所での地獄のような暮らし。
虐待に動物実験。
そうしたいわゆるペットと呼ばれる子たちを取り巻く環境から、
自然と行き着いたのが、屠殺の現場。
一生太陽を見ることもなく、なんの痛み止めの処置もなく去勢、避妊させられ、牙を抜かれ、
尾を切られる。
狭い身動きさえできない檻の中での短い短い一生。
知らない世界。
知らないということは罪である・・・そう思った。
だから、お肉を食べるのをやめた。
そして、微力ながらも里親探しのお手伝いをするようになった。
一人で肉食をやめて何になる?
1匹命を救えたからといって何になる?
疲れているときにはそうした思いになったこともある。
それでも、ここでやめてしまうわけにはいかない。
何よりも、もう元の何も知らないときの生活に戻ることはできない気持ちのほうが強かった。
何かにとりつかれたような体の奥から湧き上がる思い。
無知なる私に、こうしたことを教えてくれたのが我が家の犬たち。
いわゆる保護活動をしていると、里親希望の人よりも、「捨てにくる」人からの
問い合わせのほうが多いをということを知る。
「あなたのところが引き取ってくれないなら、安楽死しかないんだよ!」と逆ギレされた
ことも多々ある。
放棄するのはあなたなのに・・・・・
そんな中、うちにやってきた白と黒のシーズーわん。
老いて、汚れて、どうしたらこんな姿にできるのか?というほどに汚れきって、弱っていたシーズーわん。
悲しくて、悲しくて、ただつきそうことしかできない自分が情けなかった。
そのときの自分にとって、できることはやったとは思う。
そうは思うけど、
この子の心を聞けたならどんなによかっただろう?
この子の望んでいることは何だったのか?
最後は苦しくなかったのか?
うちに来て少しでもほっとする時間はあったのか?
私たちの愛はちゃんと届いていたのか?
そんな思いをずっとずっと心の底に抱えていた。
ただ、こうして世話をするだけじゃだめだ。それじゃぜんぜん足りない・・・
そうして、知識としては知っていたアニマルコミュニケーション。
それが、自分にもできるということを知る。
白と黒のシーズーわんからもらったメッセージは
「最後の数日をありがとう。それはとてもとても美しい日々だったよ」というもの・・・・・・
うれしそうに忙しそうに跳ねるシーズーわん。
この一言に救われた。
だんだん、コミュニケーションだけじゃだめだと感じるようになる。
たとえ、この子の心や体の不調を知ったとしてもそれだけでは足りない。
もっともっと、何か役にたてることはできないのか?
そんな中、出会ったのがハンドヒーリングである。
これなら、心身ともに癒してあげることができる。
地球の裏側にいる子たちの役にたつことだってできる。
家族との橋渡しをしながら、ヒーリング療法を用いることによって
治療の助けや、そして自己治癒力を高め、心身を癒す助けとなることができる。
彼が去って2年後、急にシーズーわんが訪ねてきてくれた。
元気そうなシーズーわん。
私に黄色いリボンを差し出してくれた。
淡い淡い黄色でとってもやわらかいリボン。
意味もわからずにそれを受け取ると、そのリボンはシーズーわんを乗せて高く空にのぼっていった。
そして、私の手に握られた黄色いリボンが大きく、大きくなって、私も乗せて空にのぼる。
とても鮮明な夢。
そして、この日からもっと多くの子たちにコミュニケーション、ヒーリングという形を通して接する機会が増えた。
その道は間違っていない。
もっともっと多くの子たちの役にたつことができるよ・・・
そう教えてくれ、導いてくれたシーズーわん。
わが子がこの世の残酷なできごとを教えてくれた。
行動に移すことを教えてくれた。
そして、具体的な方法をシーズーわんが示してくれた。
すべては「今だよ」と、私の心の成長とともにタイミングよく起き、それはまるで神の手に導かれているような感じであったと思う。
動物たちは神さまが人間界に送った使者である。
私はほんとうにそのこと信じる。
ここ数年で起きた、私の中での大きな変化。
人であれ、動物であれ、いきとしいけるものすべてのもののしあわせのために、彼らが愛と光の中で生きていけるように。
そのために少しでも役にたてるように・・・
はじまりはキミたちから。
キミたちからのメッセージを多く人へ伝えていくこと。
愛を光を広げていくこと。
動物から教わることは多い。
そしてそれは、私たち人間が忘れてしまったシンプルで、そして一番大切なことであったりする。
平和にしあわせに生きること。
動物たちの幸せを願う。
それにはまず私たち人間がほんとうの愛というものを知り、
幸せに日々を生きねばならない。
それは自分だけがよければいい・・・ということではもちろん違う。
自分の幸せ、愛の光で他者を照らすこと。
愛と光を広げていくこと。
それは実はとても簡単であるということ。
日々の生活の中で実践していけるそうしたちょっとした心の、体のエクササイズ。
そうしたことをここでシェアしていければいいなと思い、この別ブログを作ってみました。
#
by jyujyu358
| 2010-04-11 20:43
| はじめに